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セミナー

◆◆技を磨かず運を磨く人々 その2
次に今までの伝統的な中国の商慣習から考えると 自分が出資すること自体が 積極的な提携の意思表示になったり やる気を見せることだったり 日本では考えられないような受け取り方が存在していますので あらゆる都合のいい解釈をされる可能性があることを 理解しておくべきです。

そこを踏まえて 納得してもらって次のステップに進めれられれば、人脈やコネ、学閥と 中国人の情熱と 人材さえ揃えば うまくいけるのではないかな と思います。

日本人の考え方や進め方を 中国側にきっちりと伝え、それが 日本および欧米でも いや 世界の標準であり主流の考え方である事、それがこれからの中国には必要であるという事を ちゃんと理解してもらわなければならないと思っています。

また 面子というのも 日本でいうところのメンツと すこし 違っていることを理解すべきです。 面子を重要視しないと事が進まないという点なども 日本人にとっては 違和感があると思いますが なにしろ ここは日本ではなく 中国なので そこも中国式で乗り越えなければなりませんよね。 

一度は決まって方針として固まった話が 途中で思いつきのアイデアと 今までの単なるラッキーか偶然としか思えないような「いろんな成功の秘訣…」(笑)によって 一度は確立した戦略や理論が途中で妨害されてしまうことなど 日常茶飯事です。

化粧品の販売事業をやるという話から 美容師養成学校をするという話に発展してしまったり、知り合いが 職業学校の校長の親戚なので大規模な美容学校をするという話になったり、会社の役員に 有力なすごい人脈を 雇用するといった手法の方の話が先行してしまって 根本的な部分の話が 後回しになってしまいかねません。

そして ここも重要なポイントですが 「この儲け話は 相手(あなた)の為にするのだから 当然 あなたがそれ相応の分担をするのが当然だ」という考えがあるのです。

そうなると自分のやりたい事や自分の意志とはお構いなしに 向こう側の思惑や都合で話が進んで 向こう側の都合に合わせて 自分のお金を出資しろという話になります。

そういう話の中で細部における手法や戦術の話だけで盛り上がってしまうと 全体的な計画や施策や予定が進みません。どうやって儲かるかや 儲かったら どうするかばっかり 話題に上がって話が先に進みません(笑)

そうやっていつのまにか時間がたち 手順通りにいかずに やらねばいけないことができないまま 見切り発車という形になりのは 目に見えるようです。

今まで 日系企業の中国進出での失敗や 巷の中国系の企業の失敗には この辺の手順が 後回しになってしまって 失敗したケースが多くあると推察されます。

計画や事業計画においての規模に対する日本人側と中国側の認識のずれと言いましょうか、そこの認識の共有がなされていないか 若しくは 中国側の勝手な解釈で一人歩きして ずれが大きくなることも 予想される、いえいえ ほとんどがそうなってしまっています。

中国側が 一番大切にするのが 許認可や資格です。テストマーケティングから 徐々にやっていくというような日本人の考え方に 中国人は 納得しないと思います。

その許可申請のために 中国で申請するよりも 日本側からの申請の方が 有利でコストがかからないという場合もあります。

但し そのコストには コネを使ったりして円滑にさせるための必要ですが その場合でも 申請の場合に日本メーカーの申請なのか、中国国内の販売代理店だけからの申請なのか、それとも共同申請なのか?などの微妙なところで先行きが変わってしまうという日本では考えられないようなことも存在しています。

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山口 康一朗

山口 康一郎
1958年 鹿児島市に衣料品卸業の家に生まれる
1975年 17歳で喫茶店を開業
1981年 23歳で結婚、中古電化製品販売会社を起業。
      中古電化製品専門店3店舗、
      携帯電話販売店AUショップ6店舗、
      金券ショップ3店舗まで拡大。

2000年 福岡にビジネスコンテンツ目的の、
      コンプリート(株)を設立する。

2003年 鹿児島事業の状況変化のため、福岡撤退、道
      半ばにして鹿児島に戻る。7年ぶりに視察団
      で行った中国の発展をみて魅力を感じ、中国
      進出を目論む。
2005年 中国杭州市に連絡事務所を開設。

2007年 2年間の準備を経て、日本国内事業を譲渡整
      理及び渡航のために離婚し、杭州市に居住
      12月事務所兼用目的でJAZZBARを営業開
      始するが、許可申請等の諸問題で仮営業す
      るも6カ月以上休業状態が続く。

2009年 さらに契約上のトラブルでやくざとのトラブル
      で営業休止状態金田中集団及びインドネシ
      ア人と日本人からの出資を受け、日本型喫
      茶店の新業態開発として金田中珈琲館に
      転換、総経理に就任現在に至る日本国内
      においては稲盛和夫京セラ名誉会長の盛
      和塾に学び、稲盛経営哲学を中国で実践す
      るつもりで渡中した。中国特有の原因による
      失敗を多く経験、ギリギリの状態は脱した
      が、まだまだこれから起きる出来事に自分
      を奮い立たせながらの毎日を過ごしている。

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