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セミナー

◆◆それが何故義烏でなくて杭州だったのか
中国に初めて来たのは、1995年です。携帯電話の商売を始めた頃です。その頃私は韓国でメーカー製携帯電話のクリップ付機種専用皮ケースを製造してめちゃくちゃ当たり、さらにその金で携帯電話の店をどんどん開店して一時7店舗まで拡大しました。

アメリカでモトローラのマイクロタックという二つ折りの携帯電話の皮ケースを見て感動して、こういうケースがないか日本に戻ってから探したのですが当時は日本にまだありませんでした。

なければ 作ってしまえという事で韓国で製造させたのです。たぶん日本で初めて メーカー純正ではなくサードパーティとして携帯電話の機種専用皮ケースを作ったと自負しています。地元の中国視察団があるというので参加して青島や上海、広州を回りました。ただ1995年時点では、まだまだこれからだなあ。といった感じの国で5年後ぐらいかなと感じて韓国ばかり行っておりました。

なにせ、商売がうまく行って 携帯電話の販売、中古のパソコン販売、田舎の鹿児島で初めての金券ショップと 全てが上手くいくものですから、とても忙しくて韓国やアメリカにはしょっちゅう行くのですが中国は、それっきりになっていました。

私が義烏を知ったのは2002年の事です。地元の金融機関の視察団で初めて来ました。その頃、私はネットコンテンツとの会社を福岡に興して福岡と鹿児島を行ったり来たりです。インタネットを知れば知るほど、その魅力をその怖さが分かってきました。ネットは流通をぶっ壊して全く違うものに変える事が分かってきたからです。アマゾンが本屋の皮を被った会社である事もその頃に理解しました。

中古ビジネスで儲けてきた私にとって現物商売が危機にさらされてい事が分かりました。今まで買取相場を知られていずに仲間内での相場や自分達が作り上げた価格で動いていた価格情報が誰でもわかるようになるからです。

そこで韓国で成功した2匹目のドジョウを探しに字もの金融機関の視察団に参加したのです。ただ 義烏はすごい発展、世界最大の卸売市場の街と言っても中国でも田舎町です。日本の地方都市である鹿児島から直行便があるわけでもありませんし、福岡から出向くと言っても上海経由で入り上海から5時間かかるところでした。その上海と義烏の真ん中に位置していたのが杭州だったのです。しかも杭州は上海とも違ってとても住みやすく感じましたし文化的にも歴史的にも大都市です。さらに上海よりも内陸に向けてのの拠点になり得るところだと考えて杭州に住み義烏に通いながら中国に向けての商売もやろうと考えたのです。

いろいろな失敗をしてきてはいますが今考えてもその点については正解だったと思います。中国に進出するには 縁やコネや有利な条件だけでなく、拠点や活動の場所を決める事もとても大事な事だと思います。

地政学的な見地や流通的な見地も進出の起点を決める必要があります。その点私にとって杭州は最適だったと思っています。生きる場所を決める。1年後、2年後 5年後 10年後、そこがどうなっているか、自分はどうなっているか、中国全体はどうなっているか、その時に人の事業がどう変化しているか、それを考えて充分分析しておく必要があります。

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山口 康一朗

山口 康一郎
1958年 鹿児島市に衣料品卸業の家に生まれる
1975年 17歳で喫茶店を開業
1981年 23歳で結婚、中古電化製品販売会社を起業。
      中古電化製品専門店3店舗、
      携帯電話販売店AUショップ6店舗、
      金券ショップ3店舗まで拡大。

2000年 福岡にビジネスコンテンツ目的の、
      コンプリート(株)を設立する。

2003年 鹿児島事業の状況変化のため、福岡撤退、道
      半ばにして鹿児島に戻る。7年ぶりに視察団
      で行った中国の発展をみて魅力を感じ、中国
      進出を目論む。
2005年 中国杭州市に連絡事務所を開設。

2007年 2年間の準備を経て、日本国内事業を譲渡整
      理及び渡航のために離婚し、杭州市に居住
      12月事務所兼用目的でJAZZBARを営業開
      始するが、許可申請等の諸問題で仮営業す
      るも6カ月以上休業状態が続く。

2009年 さらに契約上のトラブルでやくざとのトラブル
      で営業休止状態金田中集団及びインドネシ
      ア人と日本人からの出資を受け、日本型喫
      茶店の新業態開発として金田中珈琲館に
      転換、総経理に就任現在に至る日本国内
      においては稲盛和夫京セラ名誉会長の盛
      和塾に学び、稲盛経営哲学を中国で実践す
      るつもりで渡中した。中国特有の原因による
      失敗を多く経験、ギリギリの状態は脱した
      が、まだまだこれから起きる出来事に自分
      を奮い立たせながらの毎日を過ごしている。

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