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セミナー

◆◆何故、中国に住む事になったのか
何故中国進出した仕事が飲食業だったのか?知りたい人も多いでしょうね日本では100円ショップのふるさととして有名な義烏と言う都市があってそこに初めて行ったのが7年前 びっくりしました。世界最大の卸市場がある都市です。そこで中国で商売する気になりました。そこでどうやって中国に出ようかと考えたのです。

方法は4つ
① 中国のものを日本に輸入する
② 日本のものを中国に輸出する
③ 中国のものを中国に販売する
④ 中国のものを日本以外に輸出する。

とりあえず、①の方法をやってみました。自分が経営していた店舗で販売してみたのです。いいものは見つける事は出来るのですが 輸入手続などが大変難しくしかも大量ロットを要求されるので大変です。

④は次の話ですし、②の話は、中国人からいろいろ持ち込まれますが 型遅れのデジカメを大量に欲しい。とか、中古のパソコンならいくらでも買う。などという話です。

私はもともと中古電化製品販売で商売をしていた人間ですからそれらはいかに都合のいい話かを知っています。型遅れのデジカメなんてそんな大量に在庫が残るほど日本のメーカーはバカじゃない。中古でもいいものはそれなりに価格が高い。ところが中国国内のメーカーは販売管理などしていないし、バンバン作って売れなかったら処分を繰り返し、中古は中国では中古になったらめちゃ価値が下がるし中古はすぐ壊れると思っているので日本も同じだと考えた上で日本の中古なら性能がいいので故障も少ないから商売になると考えているのです。まあ、とても都合のよい考えですよね、事情を知らないという事は怖い事です。
そんな事もあって 中国人が欲しい物は分かりましたが、そういう商品が少ない。だから後回しにする事にしました。

③に関しては、中国を知っていくうちに『こりゃいいかもしれないな』と感じました。
何故なら 日本で販売されているものに中国製がどんどん増えていたからです。というより安いものはほとんど中国製。100円ショップのものなどは、前述した義烏のものが多いのですから品質が良ければ、日本でも売れているわけです。ダイソーや大手100円ショップが扱っているような品質の高いものを見つける事を考えました。そうすれば日本にも輸出出来るかもしれないし、日本品質の商品という事を売りに中国国内でも販売できるのではないかと思ったわけです。ところがそういう大手企業は、既に義烏レベルでの仕入をやめ、義烏ではメーカー探しやアイデア探しのリサーチをしているだけという事がだんだんわかってきました。それらの商品のメーカーは中国に点在していて、しかも日本の大手100円ショップは全量買い切りです。さらにそういうメーカーが存在していてもそのメーカーでさえ、日本向けのものは品質が良くても中国国内向けのものは、安かろう悪かろうだったのです。
それと物を扱うとなると発注や検品などが大変ですし 管理経費も大きくなります。
特に中国の場合、量で価格が変動しますので 最初のロットを抑えて話をすると話にも乗ってきません。しかもその品質に関して細かい事を交渉するとその場で交渉決裂です。やはり、日本で売れるという保証や予測が立つ製品じゃないとリスクが高すぎます。

もちろん①の方法を続けながらその中でヒット商品にたどり着くという努力はいとわない覚悟でしたが それにしても時間がかかり過ぎる事だけは想像出来ました。アイテムも膨大です。日本の店舗で試験販売もしてみましたが私の社内でも中国製に関して懐疑心が強く、積極的に販売もしてくれません。クレームが出ると文句言われるのは自分達だからです。品質をキープして少量ロットで仕入を起こすことができる方法としては自分が現地で常駐する方法しかないと思って最初中国に住む決心をしました。

見えるところには既に利益は落ちていません。考えた事が実現していたら、そこから先に一歩進む気持ちを持っていない限り 中国進出はお勧めしません。ただ、逆にその先の一歩を見つけられたら、発展的に考えれば、さらなる飛躍ができるかもしれません。「今考え!良く見極め!!すぐ動く!!!」これが中国で失敗しない一番大切な事だと思います。

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山口 康一朗

山口 康一郎
1958年 鹿児島市に衣料品卸業の家に生まれる
1975年 17歳で喫茶店を開業
1981年 23歳で結婚、中古電化製品販売会社を起業。
      中古電化製品専門店3店舗、
      携帯電話販売店AUショップ6店舗、
      金券ショップ3店舗まで拡大。

2000年 福岡にビジネスコンテンツ目的の、
      コンプリート(株)を設立する。

2003年 鹿児島事業の状況変化のため、福岡撤退、道
      半ばにして鹿児島に戻る。7年ぶりに視察団
      で行った中国の発展をみて魅力を感じ、中国
      進出を目論む。
2005年 中国杭州市に連絡事務所を開設。

2007年 2年間の準備を経て、日本国内事業を譲渡整
      理及び渡航のために離婚し、杭州市に居住
      12月事務所兼用目的でJAZZBARを営業開
      始するが、許可申請等の諸問題で仮営業す
      るも6カ月以上休業状態が続く。

2009年 さらに契約上のトラブルでやくざとのトラブル
      で営業休止状態金田中集団及びインドネシ
      ア人と日本人からの出資を受け、日本型喫
      茶店の新業態開発として金田中珈琲館に
      転換、総経理に就任現在に至る日本国内
      においては稲盛和夫京セラ名誉会長の盛
      和塾に学び、稲盛経営哲学を中国で実践す
      るつもりで渡中した。中国特有の原因による
      失敗を多く経験、ギリギリの状態は脱した
      が、まだまだこれから起きる出来事に自分
      を奮い立たせながらの毎日を過ごしている。

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