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◆◆上海九誠浮力市場営銷策劃有限公司(1/2)
総経理 郭威 氏
『若手中国人総経理の挑戦物語』
【今回の企業】
日本の企業数の99.7%を占める中小企業、その数は430万社にも上る。一方で、隣国中国はかつての日本のごとく、起業ブームの真っただ中にある。4200万社(個人経営者を含む)という中国の中小企業数が、その規模の大きさ、競争の激しさを示唆している。そんな中国中小企業の戦国時代の中で、ある中国人若手総経理が率いるマーケティング会社がある。それが、郭威 氏が総経理を務める上海九誠浮力市場営銷策劃有限公司Kyusei&Buoyancy Corp. 以下K&B)だ。K&Bは「中国市場営銷新航標(中国市場の道しるべ)」という理念の下、「消費者調査・産業調査・SP(注1)」を3本柱として、マーケティング業務を展開している。今回は、波乱万丈の郭威 氏バックグラウンドから、K&Bとの歩み、そして今後の展望について、『挑戦』し続ける総経理 郭威 氏に伺った。(注1)SP(セールスプロモーション)
消費者の購買意欲や流通業者の販売意欲を引き出す取り組み全般。テレビや新聞などを使った広告やパブリシティ、街頭キャンペーンなどがある。(wikipediaより抜粋)
http://www.kyusei.cn/
- 学生時代――『挑戦』の序章
- 1981年生まれの郭氏は、高校を卒業するまでの18年間、生まれ故郷ハルピンで育った。「自分は、何かと先生に反抗するような、可愛くない生徒でしたね(笑)」と冗談交じりに語り始める郭氏。学生時代には、サッカーに加えキックボクシング、テコンドーと様々なスポーツに積極的に挑戦する傍ら、バーチャル花屋のウェブサイト立ち上げに没頭する日々もあったという。「ハルピンでは何かイベントがあると、男性が女性に花を贈る習慣がありました。でも、いざ花を買おうと花屋に行ってみると売り切れていることがしばしばありました。そこで、ウェブ上の花屋で注文するだけで、送りたい相手に直接花が届けられるサービスがあったらいいなと思ったことがバーチャル花屋の立ち上げを目指したきっかけです」。結局、バーチャル花屋立ち上げという郭氏の挑戦は失敗に終わった。「やはり、学生が0からネットワークを構築することが難しかったですね」と郭氏は悔しそうに当時を振り返る。しかし、バーチャル花屋立ち上げは郭氏の『挑戦』の序章に過ぎなかった。
- 日本への留学――『挑戦精神』のルーツ
- 「以前から、中国を出て外国で勉強したいという思いがあった」と語る郭氏は、高校卒業後、語学学校で半年間日本語を学び、2000年に日本の大学へと進学した。日本での留学生活について「生半可な努力では、生き抜いていくことが難しい社会だった」と郭氏は語る。日本は中国に比べ、学費はもちろん、生活を支える食費や交通費も高い。大学に通いながらも、アルバイトすることで、自ら学費の半分を支払っていた。
たこ焼き屋にスーパーの店員、内装工事や工事現場の事務所のアルバイトと様々なアルバイトをしながら、大学にかよう日々が続いた。そして、大学2年生の時には、友人とフリーターの社会活動を支援するNPOを設立、またその運営メンバーと共に、ビジネスプランコンテストにも積極的に参加した。
そして、早稲田大学インキュベーションセンター(注2)主催のビジネスプランコンテストにおいて、郭氏らのビジネスプランが最優秀賞を受賞した。「企業の広告がプリントされた無料雨傘を配布し、企業PRの一役を担う」という一見単純なビジネスプランだったが、“ありそうで、なぜかない”そこにビジネスチャンスがあった。そのビジネスプランを実行に移すべく、郭氏は4年生に進級したばかりの大学を中退して、早稲田大学インキュベーションセンター内で学生ベンチャー企業立ち上げに奮闘した。「日本の大卒資格」を蹴って、あえて起業に『挑戦』する。それこそが、今なお変わることのない郭氏の『挑戦精神』のルーツだった。
(注2)早稲田大学インキュベーションセンター
TLO(技術移転)機関である早稲田大学産学官研究推進センターに属し、大学発ベンチャーの創出・支援を行う機関。(早稲田大学産学官研究推進センターより抜粋) - 上海で起業――新たな地での再スタート
- 日本での留学生活を終えつつあった郭氏の将来のヴィジョンは「就職」ではなく、「起業」だった。アルバイトやNPO設立、ビジネスコンテストへの参加に学生ベンチャー企業立ち上げと、日本での活動を通じて、既に多様なネットワークを築き上げていた郭氏は、「人脈を活かして、自分で何か事業を興してみたい」という思いを抱いていた。当初は日本での起業を考えていたものの、学生ベンチャー企業を通じて日系企業の「意思決定の遅さ」を、身を持って経験、思い切って母国中国での起業を決断した。そして、日本へ留学してから4年後の05年5月、郭氏は上海で自らの『挑戦』の新たなスタートを切った。
「上海へ来た当初は、“逆カルチャーショック”を受けました。日本の文化に4年間も浸かっていたため、店員のマナーなど、気になって仕方なかったです(笑)」と上海生活の始まりを懐かしそうに振り返る郭氏。しかし、上海での生活は苦労の連続だった。同年9月には「FRS」という企業を設立したものの、当初は国内に独自の人脈が少なく、留学時代の日本人の知り合いから引き受けた仕事でなんとか生活していた。中国で開催されるイベントの調査及びレポート提出やイベントの企画・運営、IT企業との共同プロジェクトへの参加など様々な仕事を引き受けたが、当時はまだ業務内容に一貫性がなく、仕事がない時期もあった。「07年の年末頃までは、オファーがあればとにかくどんな仕事でも引き受けていました」と郭氏は語る。「今後、何を主要な業務にすべきか」を考えるべく、様々な仕事を引き受けることで“試行錯誤”を続けた。そんな郭氏の『挑戦』は、決して平坦な道のりではなかった。 - 次号につづく ≫
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- 「せっかく中国経済の中心地・上海でいるんだから、生の中国ビジネスに触れたい!」そんな思いを胸に、当時、上海財経大学に留学していた小林直樹が立ち上げたサークルです。現在のメンバーは、日本人留学生と中国人大学生で構成されており、上海で活躍する日系企業を取材し、それを「RINKOKUメールマガジン」として発行中です。他にも、留学生向けセミナーや、中国人学生向けの企業見学会を開催しています。全活動の方針を決める定例会議を、毎週土曜日午前10時より、上海財経大学の中山北一路校区で開いています。










