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セミナー


◆◆読売新聞東京本社 上海支局(1/2)
   上海支局長 加藤隆則氏
   『真実は人の口からのみ語られる』

【今回の企業】
北京オリンピックを終え、改めてその存在感を世界に示した中国。2010年に上海万博を控えた今、中国報道の必要性が益々高まっている。その裏には、膨大な量の情報を正確に伝えるため、日々奔走する人の姿があった。今回は、熱い記者魂を持った読売新聞東京本社上海支局長の加藤隆則氏にお話を伺った。

http://info.yomiuri.co.jp/

―加藤様のご経歴を教えてください。
早稲田大学政治経済学部を卒業後、1986年中国語習得のため北京へ留学しました。88年に読売新聞社へ入社し、東京本社社会部で司法、皇室などを担当。2005年7月から上海で勤務しています。
―北京へ留学したきっかけを教えてください。
大学卒業後、すぐには就職せず1年間北京へ語学留学していました。今の若い人には想像できないかもしれませんが、当時の日本はバブルの全盛期で、新卒者は企業から引く手あまたでした。例えば、現社会人である大学時代の先輩から電話がかかってきて、「一緒に食事しよう」と誘われて行くと、そこには寿司や鰻が・・という感じです。「この社会はなんだかおかしい」と直感的に思いました。そのようなことが直接的な原因となり、就職活動を一年待つことにしました。そして学生時代に海外への興味がありつつも、留学のチャンスが無かったこともあり、中国留学を決心しました。
―加藤様が留学されていたのは、今から約20年前になりますが、当時の中国はどのような状況だったのでしょうか?
当時の中国は文化大革命が終わり、新たな時代を迎えたばかり。もちろん、マクドナルドもケンタッキーもありませんでした。それまでの中国では、外国人と接する機会が極めて少なかったためか、道を歩いているだけで「あなた、日本人?日本語教えて!」と知らない中国人に話しかけられることも度々ありました。外の世界への興味や憧れ、また新しいものを吸収しようとする貪欲な姿勢を感じましたね。

北京留学時代は、午前中は授業、午後は自転車で北京散策というような生活を送っていました。当時の北京では、国営企業に勤めている人が大半で、収入にもほとんど差がなく、全体的にのんびりとした印象を受けました。街中で出会った人や、胡同(注1)に住んでいる人たちが気さくに話しかけてくれたことで、私の中国語も大変上達したと思います。また、中国の東北地方へ旅行した時にも、旅行先で知り合った人に、家に招待されました。スイカをいただきながらお話していると、妹さんを紹介され、「日本につれてってやってくれ」「いや、それは・・」「じゃあ、2人で旅行にでも!」とお願いされたことがあります。流石にお断りしましたが、なかなか面白い思い出ですね(笑)。

注1:北京の旧城内を中心に点在する細い路地の事。(Wikipediaより抜粋)
―入社当時のお話を聞かせて下さい。
日本の全国紙は各都道府県、市町村にわたるまで支局・通信部を設けており、全国各地のニュースを一つの新聞が独自に報道するという、世界でも特殊なスタイルを取っています。入社後、新入社員はまず、地方の支局へ修行の旅に出ます。新聞の中の「地域欄」は地域ごとに、違う内容を掲載しているのをご存知ですか?地域に密着した取材を行い、情報提供をしていくため、全国各地に拠点を設ける形になっています。

地方の支局での新入社員の最初の仕事は、「察回り」というものです。「察回り」とは、「警察回り」のことで、警察から情報を得ることを言います。4年から5年かけて、記者として基本中の基本である情報収集の技を体得します。警察署は多くの情報が集まってくる場所のひとつです。我々はその中から必要な情報を得なくてはなりません。しかし警察の方々も仕事ですから、こちらが知りたい事を何でも教えてくれるわけではないのです。彼らからどうやって情報を聞き出すのか、そこはテクニックが必要になってきますね。
―ずばり、「察回り」の際の具体的な情報収集テクニックを教えてください!
本当は秘密なんですよ!貴重な情報を得るには、大勢いる記者の中で、この人!と思ってもらうことが重要です。基本は、恋愛と一緒なんです。例えば、私はどうしてもある女性と付き合いたいと思っているとします。ある日彼女は、一緒にディナーに行ってくれる人が必要になりました。そこで!大勢いるボーイフレンドの中で、パッと私の顔が浮かぶかどうか、ということです。ただ、相手が女性の方ではないというだけで(笑)他にはなんの違いもありません。要するに、どれだけ人から興味を持ってもらえるかということです。

例えば、人づてにある警察官の自宅場所を調べました。彼とコンタクトをとりたい場合、朝自宅前で、彼が出勤のため出てくるのを待ち、出て来たところであいさつをします。「おはようございます。この辺で学校を探しているのですが、ご存知ですか?」というように。そして、その日はお礼を言って別れます。また日を置いて、彼の自宅近くで「先日はどうもありがとうございました」とあいさつをします。そしてまた数日後に、今度は警察署で「おや、先日お会いした!!」と声をかけます。何度も顔を合わせているので、きっと相手も「したたかなやつだなぁ」と思っているのでしょうけど(苦笑)。そこから、自分の書いた記事を持っていって、「よろしければ読んでください」などというように、少しずつ時間をかけて、相手に受け入れてもらえるよう努力していきます。

これはほんの一部で、実際はまだまだこんなものじゃありませんよ(笑)。それに、記者も大勢いますから、人それぞれスタイルは違うと思います。また、私は初めて会う人と話しをするときには、自分のことを進んで話すようにしています。相手から話を聞く際も、まず自分が何者なのかを理解してもらうことが大事だと考えているからです。
―加藤様のお話を伺いますと、記者の仕事はかなり忍耐力が必要な印象を受けますが、このお仕事を長年続けれられきた理由は?
今では、3K(きつい・汚い・危険)なんて言われて、若者には人気の無い職業となっているみたいです(苦笑)。しかし、人間ひとりひとりの声は小さなものです。それを拾い上げ、形にし、事実を世の中に知らせる代弁者が必要なのだと信じています。自分にしか書けないこと、自分が書かなくては歴史上に残らないことを記事にしたときに、新聞記者である喜びを感じます。これは中々口では説明し難いことですね。また、この仕事を通して、人間関係の大切さを痛感しています。すべての物事は、人と人との関係の延長線上に成り立っています。若い記者へは「本当の真実は人の口からしか聞けない」、「お金では買えない信頼関係を作ることが何よりも大切」と言い聞かせています。
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「せっかく中国経済の中心地・上海でいるんだから、生の中国ビジネスに触れたい!」そんな思いを胸に、当時、上海財経大学に留学していた小林直樹が立ち上げたサークルです。現在のメンバーは、日本人留学生と中国人大学生で構成されており、上海で活躍する日系企業を取材し、それを「RINKOKUメールマガジン」として発行中です。他にも、留学生向けセミナーや、中国人学生向けの企業見学会を開催しています。全活動の方針を決める定例会議を、毎週土曜日午前10時より、上海財経大学の中山北一路校区で開いています。