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セミナー


◆◆株式会社日本航空(1/2)
   上海支店長 華東地域担当 荒久田 敏治氏
   『世界は我々を待っている!! Let’s fly all over the world!!』

【今回の企業】
世界と我々を結ぶお手伝いをする企業「日本航空(JAL)」。小さい頃、飛行機を眺めながら、どうしてこんな大きな物が空を飛び回るのか、不思議に思っていた方も多いでしょう。夢とロマンを乗せて今日も世界へ羽ばたく日本航空機。しかし現実では、原油価格の高騰により航空会社を取り囲むビジネス環境が変化している。今回は、昨年より東京と中国上海を結ぶ航空便数も増えて、益々注目が集まる日本航空上海支店の荒久田敏治氏にお話を伺ってきました。

日本本社:http://www.jal.co.jp
中国支店:http://www.cn.jal.com

―荒久田氏の御経歴を教えてください。
九州大学経済学部を卒業後、1974年日本航空に就職。その後、沖縄、ジャカルタ、ニューヨークなどの勤務地を経て、2005年に支店長として上海へと赴任してきました。学生時代、将来は世界を舞台に仕事をしようと就職活動を始め、航空会社、商社、メーカーと海外進出している日本企業を受けました。最終的に日本航空に対して「飛行場は全世界の首都にある。航空会社なら自分も世界へ飛べる」との思いから弊社に就職しようと決めました。

上海支社への勤務辞令を受けた時、本音を言えばショックでした(苦笑)しかし、勤務先の友人に上海行きについて相談したところ、「上海は、今世界中で一番エキサイティングなところだ!!赴任できるなんて羨ましい」と、皆の反応に驚きを隠せませんでした。その後、私自身が、上海で中国の経済発展と街全体の躍動感を感じられたことで、今では上海に赴任することができて良かったと思っております。4月1日をもって日本へ帰任することとなりましたが、今では上海から離れたくありません(笑)
―入社当時の話をお聞かせください。
入社直後の沖縄の勤務時に「海洋博(注1)」の事業に携わりました。1969年に沖縄がアメリカから返還され、また「海洋博」という国際イベントが開催されることもあって、沖縄と各地を結ぶ便数も増え始めました。

ジャカルタ赴任時には、どんな業務もこなす必要がありました。例えば、当時は飛行機技術がまだ発達していなかった為、機体重量のバランスを細かく調整する必要がありました。そのために、お客様の座席位置からお預かりしたお荷物、貨物の位置などの把握、調節を行いました。こういった重量調整を怠れば、離陸できない可能性もあったからです。もちろん今は、機体の性能が良くなっているので、その心配はありませんが(笑)

注1:沖縄国際海洋博覧会
沖縄県国頭郡本部町で183日間の会期(1975年7月20日~1976年1月18日)をもって行われた国際博覧会。略称は「沖縄海洋博」など。(Wikipediaより抜粋)
―上海支店の社員についてお聞かせください。
上海支店の社員は約400名です。そのうち現在47名の日本人が勤務しております。中国人社員は、全体的に向上心が強く将来への目的意識がはっきりしている人が多いように感じました。 こちらでの話ですが、以前勤務していた中国人社員で、3年間の勤務後、「司法試験の勉強に専念できるだけの資金が貯まった」と、辞職した社員がいました。個人的には、そのような上昇志向、向上心のある人は好きですし、応援してあげたいですが、会社の損失は大きいです。また、自身のキャリアアップの為に、働きながら中国語を学んでいる日本人社員も多くいます。中には現地採用の日本人社員もいますが、現時点では、現地採用した日本人への教育制度が整っていないなどの問題があり、こちらでの新卒の採用は難しいですね。
―御社が求める人材についてお聞かせください。
全体的に見て、日本企業が求める新入社員像に「真っ白な人材」という概念があり、その点は弊社も同じです。新入社員には、なるべく何にも染まってない真っ白な状態であって欲しいと願っております。実は、日本企業で教育された人材は、欧米の航空会社から非常に人気があり、サービス精神のレベルが非常に高い点が特徴です。特に、キャビンアテンダント(以下CA)などは欧米企業が欲しがる傾向にあるようです。
彼らは一から育てていくよりも、既に出来上がっている人材を欲しがるようですね。
―中国上海で業務を進めていく上で、どのような苦労をなされましたか?
欧米の航空会社と比べて、弊社の強みはサービス面の充実です。しかし、海外での仕事は、日本国内とは多少勝手が違いました。海外で委託をする際、お子様連れのお客様を対象としたファミリーサービスなどの弊社が行っているサービスは、現地スタッフには理解されにくく、「どうしてそんな事までしなくてはならないのか」と疑問を抱かれることも少なくなかったです。それを中国人社員にどのように理解させて、実行に移していくのか、生活習慣の違う国で、日本企業が現地の社員を教育することの
難しさを痛感しました。
―「9・11」発生時に、ニューヨークで勤務されていたと伺ったのですが。
「9・11」(アメリカ同時多発テロ事件)が発生した時、私はニューヨークの飛行場にて勤務しておりました。まさに今、お客様を乗せて飛び立とうという時にストップがかかったのです。上空を飛んでいた飛行機にも緊急着陸の要請があり、航空会社は会社関係なしにお客様のケアに徹しました。その後、空港にも爆弾がしかけられているという情報が入り、お客様には、安全確保の為に空港を離れていただくことになったのです。その際、日本人のお客様はビザ申請の必要がなく、すぐに入国できたのですが、その他の国籍であるお客様に対して、アメリカ入国のビザがなかなか下りませんでした。そのため、空港を離れる際には警備員の監視下のもと行動しなければいけなくなってしまい、宿泊先には空室がない為、ホテルの大ホールに簡易ベッドを運び込み、お客様にはそこで寝泊りしていただく形になってしまいました。初めは仕方がないとご理解していただきましたが、時間の経過と共に苦情も増え、お客様の対応に追われました。弊社をご利用いただいたお客様への配慮が欠けていたことを、今でも大
変申し訳なく思っております。
―荒久田様が手がけた新会社の設立についてお聞かせください。
ニューヨークから帰任後、社員約500名を率いて「成田ロジスティックターミナル」という貨物の荷役、物流を扱う企業の設立に携わることができました。この企業を立ち上げたことによって、一から物を作り上げる苦労を知りました。成田空港は国内第一位を誇る貿易港です。日々、北は北海道から南は沖縄まで日本全国に届ける貨物が、世界各地から成田空港に到着します。これまで各航空会社は、海外から輸送された貨物を成田空港から独自の輸送方法で日本各地へ輸送しておりました。例えば、A社(外国航空会社)は自社の飛行機で成田まで輸送してきた貨物を大阪に運ぶ必要があります。また、仮にトラック一台を借りるのに10万円必要とします。日によって貨物量が異なるため、トラックの荷台には各社スペースがあるものの、輸送せざる終えない状況でした。A社は、そのまま10万円を払って貨物を輸送。しかし実際、トラックの荷台にはスペースが余っているので、かなり無駄なコストがかかっている。と、いうような状況が多々ありました。我々は外国航空会社と比べると、貨物便の便数が多い為、毎日一定の量の貨物を輸送する必要があります。その際に、トラックの空きスペースを安く提供することで輸送費に10万円払っていたA社が、大幅にコストダウンできるようになりました。A社のような会社とのWIN-WINの関係を築ける新たな事業を行うことで2年目には営業利益も黒字転換しました。
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「せっかく中国経済の中心地・上海でいるんだから、生の中国ビジネスに触れたい!」そんな思いを胸に、当時、上海財経大学に留学していた小林直樹が立ち上げたサークルです。現在のメンバーは、日本人留学生と中国人大学生で構成されており、上海で活躍する日系企業を取材し、それを「RINKOKUメールマガジン」として発行中です。他にも、留学生向けセミナーや、中国人学生向けの企業見学会を開催しています。全活動の方針を決める定例会議を、毎週土曜日午前10時より、上海財経大学の中山北一路校区で開いています。