6月14日~16日 旧暦記念日
『端午節』
端午(たんご)は節句の一つで、現在は5月5日である。五節句の一つであり、端午の節句とも呼ばれる。そもそもは旧暦5月5日に祝われたが、今日の日本ではグレゴリオ暦(新暦)の5月5日に行われ、旧暦や月遅れの6月5日に少ないながら一部地域では行なわれている。日本では端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習があり、国民の祝日「こどもの日」になっている。尚、中国語圏では現在も旧暦5月5日に行うことが一般的である。菖蒲の節句ともいう。
【端午の意味】
旧暦では午の月は5月にあたり(十二支を参照のこと)、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったという。「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、元々「端午」は月の始めの午の日のことだった。後に、「午」は「五」に通じることから毎月5日となり、その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったともいう。同じように、奇数の月番号と日番号が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっている。
【風習とその由来】
この日を端午とする風習は、3世紀の中国、楚で始まったとされる。楚の国王の側近であった屈原は人望を集めた政治家であったが失脚し失意のうちに川に身を投げることとなる、それを知った楚の国民たちはちまきを川に投げ込み魚達が屈原の遺体を食べるのを制したのが始まりと言われている。しかし後漢末の応邵による『風俗通義』では端午と夏至にちまき(古代には角黍と称した)を食べる習慣が記録されているが屈原との関係には一切言及されておらず。また南朝梁の宗懔による『荊楚歳時記』には荊楚地方では夏至にちまきを食べるという記録が残されるのみであり、ちまきと屈原の故事は端午とは元来無関係であったと考えられる。
この他に夏殷周代の暦法で夏至であったという説、呉越民族の竜図騰崇拝に由来するという説、5月を「悪月」、5日を「悪日」とし、夏季の疾病予防に菖蒲を用いたという説も存在する。
中国での端午の記録は晋の周処による『風土記』に記録される「仲夏端午、烹鶩角麦黍」である、また『荊楚歳時記』には「五月五日…、四民並蹋百草之戯、採艾以為人、懸門戸上、以禳毒気。…是日競渡採雑薬。以五彩絲係臂、名曰辟兵、令人不病瘟。又有条達等組織雑物以相贈遺。取鴝鵒教之語」と記録があり、端午当日は野に出て薬草を摘み、色鮮やかな絹糸を肩に巻き病を避け、邪気を払う作用があると考えられた蓬で作った人形を飾り、また菖蒲を門に書け邪気を追い払うと同時に竜船の競争などが行われていた。これは現代日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るし、菖蒲湯(菖蒲の束を浮かべた風呂)に入る風習が残っている。
日本においては、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。すなわち、端午は元々女性の節句だった。宮中では菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い天皇から薬玉(くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜った。かつての貴族社会では薬玉を作りお互いに贈りあう習慣もあった。宮中の行事については奈良時代に既にその記述が見られる。
鎌倉時代ごろから「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ、男の子の成長を祝い健康を祈るようになった。鎧、兜、刀、武者人形や金太郎を模した五月人形などを室内の飾り段に飾り、庭前にこいのぼりを立てるのが、典型的な祝い方である。鎧兜には男子の身体を守るという意味合いが込められている。こいのぼりをたてる風習は中国の故事にちなんでおり、男子の立身出世を祈願している(こいのぼりの項)。典型的なこいのぼりは、5色の吹き流しと3匹(あるいはそれ以上の)こいのぼりからなる。吹き流しの5色は五行説に由来する。
端午の日にはちまきや柏餅(かしわもち)を食べる風習もある。ちまきを食べるのは、中国戦国時代の楚の愛国詩人屈原の命日である5月5日に彼を慕う人々が彼が身を投げた汨羅江(べきらこう)にちまきを投げ入れて供養したこと、また、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚のえさとしたものがちまきの由来とされる。柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まっていった。中国語圏では、現在も屈原を助けるために船を出した故事にちなみ、龍船節として手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われる。ヨモギ(蓬、中国語:艾(アイ)または艾蒿(アイハオ))の束を魔よけとして戸口に飾る風習も、広く行なわれている。なお、男の赤ん坊をもつ家庭にとっては「初節句」となるため、親族総出で祝われることも多い。5月5日が祝日であり、さらに前後に祝日を伴う大型連休期間中にあるため、雛祭り以上に親族総出で祝われる。
端午の節句の起源は文字通りで、端はことの始まりを意味し、午は陰の反義語で、太陽を表し夏の始まりを意味します。
5月は別名百毒月ともいわれ、この頃は丁度二十四節季の夏至に当たり気温も上昇し、蚊や蝿が繁殖し、人も病気になり易いので、病気に注意をしなさいと言う警告もあったようです。
香りの強い菖蒲(しょうぶ)や、よもぎの葉を家の前に飾るのも、これらの病や邪悪なものを避ける為のお払いのようなものです。
また、この日は戦国時代の偉大な愛国の詩人屈原の命日です。
屈原は楚の国の大臣でしたが、ある時、楚の国の王の前で秦の国の主張に抵抗し団結するよう述べた為、口の上手な家来の誹謗と迫害に遭い、追放されてしまいました。
屈原が追放されている間に、秦に攻められ楚の国が滅びてしまい、これを聞いた屈原は嘆き悲しみ、汨羅江(現在の湖北省にある河)に投身自殺してしまいました。
これを知った農民たちはもち米を竹筒に入れ、あの世でも空腹にならないようにと河につぎつぎに投げ入れたそうで、これが「粽」の始まりです。また、竜舟競漕(日本にもあるドラゴンボートレース)は農民たちが、次から次へと舟を漕いで屈原の遺体を捜そうと競ったことが起源です。
【関連する最近の話題】
2005年11月、漢字文化圏にて2000年近く続いている「端午の節句」について、韓国が起源を主張。名称を「江陵端午祭」としユネスコの世界無形遺産に申請し、選定されてしまった。この選定を受け、実際の起源の中国のマスコミをはじめとする諸団体は猛反発した。







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